有機体

哲学徒二年生

2016.10.02 落日

夏はいつの間にか終わっていた。太陽は日々に新しい。同じ川に二度入ることはできない。同じ夏は、二度と来ない。

 

夏休みは始まる前が一番楽しかったりする。自分のやりたいことをあれやこれやと夢想して、結局やれたことはどれほどあるだろう。

 

いつまでも自由を謳歌できるわけではない。人は、いつ死ぬのかはわからないが、死に近づいているのは確実だ。あのときはかけがえのない時間であったと、気づいたときには既に遅すぎるものだ。

 

そういうわけで、夏の成果と反省点を振り返りたい。

 

 

成果①:読書スピードが上がった

 

夏に読み終えたのは以下の通り。

〈授業テキスト〉
小林剛『アリストテレス知性論の系譜 ギリシア・ローマ・イスラム世界・中世まで』
井ノ口哲也『入門 中国思想史』
加賀野井秀一『20世紀言語学入門』
ゴルデル『ソフィーの世界

〈その他〉
ブッダ 真理のことば 感興のことば』
歎異抄
デカルト方法序説
ラッセル『論理的原子論の哲学』
ショーペンハウアー『自殺について』
キルケゴール死に至る病
九鬼周造『偶然性の問題』
山内志郎『感じるスコラ哲学』
村岡晋一『ドイツ観念論 カント・フィヒテシェリングヘーゲル
門脇俊介『現代哲学 哲学教科書シリーズ』
東浩紀動物化するポストモダン
ちくま学芸文庫の『数学序説』
岡崎暁生『音楽の聴き方』

授業テキスト以外は特に目的もなく濫読した。これくらいは読みたいな、というノルマは達成できたのでよかった。

死に至る病』は、読みたいと思った日に読み始め、その翌日に読み終えた。こんなに読めるとは思わなかった(理解できない箇所もあったが理解できないなりにも読めた)。おそらく読解力の質的な飛躍があった。

カント読書会で哲学書の読解に徐々に慣れてきたのもあると思う。ちなみに、カント『プロレゴメナ』は4分の1ほど読み終えた。

 

成果②:棒術での取り組み

 

夏合宿及びその準備たる合宿前稽古があった。体調を整え可能な限り前稽古に参加したおかげで、合宿も変な劣等感を感じずすっきりした心持ちで乗り越えることができた。…書き方が悪い。準備が万全だと、余計なことを考えずにすむ、ということ。数歩ほどは成長できただろうか。

気づいたことと言えば、稽古をすると学問をすることは私にとっては相互補完的な関係がある、ということ。稽古によって何か視座を得ることもあるし、学問をするうえで役に立つこともある。逆もまた然り。

 

成果③:自らのテーマを発見した

 

哲学にハマるにあたっての自らの根本関心を発見した。すなわち、〈われわれ〉とは何か、〈われわれ〉は何を為すべきか、罪と罰とは、である。

もちろん問いの仕方として浅いのは承知である。しかし、ここから問わないことには、哲学という深い森の中で迷子になってしまう、と思った。ここからさまざまに問いを深めることに関心がある。これについてはいずれ考えがまとまったときに書こうと思う。

 

反省点①:外国語の勉強をしなかった

 

全く進まなかった。秋学期はアラビア語の授業を取らないようにしてしまった。予習復習が追いつかなそうだったからである。

 

反省点②:哲学の古典にあまり触れられなかった

 

古典的な哲学書をもっと読んでもよかった。これは読む本の選び方だろう。そこまで内容的に高度でないものを選んでしまった。学生は時間があるので、できるだけ邦訳原著に当たらないと、知性が磨かれない。

また、本を借りる機会を持てなかったのもあるが、プラトン全集を読み進めるつもりだったのに、読み進められなかった。これは秋学期の課題にする。

 

反省点③:哲学史のまとめの作成に失敗した

 

哲学史のまとめノートを作ろうとしたが、挫折した。哲学史は広大かつ深遠である。哲学史をある種テーマ史として見れば(例えば存在論の歴史とか、言語論の歴史とか、プラトニズムの展開とか)幾分か把握しやすいのだが、そうでない場合は大変骨が折れる。

結局、初学者レベルの哲学史の知識が身についてからは、プラトンアリストテレスを読みつつ少しずつ古典的哲学書を読む他ないようだ。知恵を得るには時間がかかる。地道が近道。

 


というわけで、秋学期は以下の3つを目標に掲げたい。

 

①ドイツ語、フランス語、サンスクリット語の授業に真剣に取り組む。ラテン語の初等文法を終わらせる。

 

②棒術の大演武会で観客をあっと思わせるほどの演武を行う。

 

プラトン全集を(索引以外)すべて通読する。アリストテレスの『霊魂論』『二コマコス倫理学』『形而上学』を通読する。

 

アラビア語には試験が終了してから取り組むことにする。③は学期終了よりも早く終わるかもしれないので、そうしたらアウグスティヌス『告白』と聖書とを合わせて読むか、新プラトン主義の著作に当たってみるか、ヘーゲル精神現象学』かニーチェツァラトゥストラはかく語りき』を読むかしたい。

 

最後に。「人間論」についての著作にたくさん当たってみるかとも思ったが、やめておいた。私の関心テーマとして近い実存哲学や、近現代倫理学においては、ざっと調べた限りだと、それまでの古典的哲学書から視座を得たり、あるいは思考方法を借用していることが多いようだ。ならば、時間をかけてじっくり思考の網目を編んでいくのが良い。

 

ともあれ、後期は妥協せずに勉強しようと思う。おそらく今後の人生を決めるのはこの秋学期だろう。明日も元気に、プラトンGO。