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有機体

哲学徒二年生

2016.12.16 深夜

雑記

最近はよく空を見上げる。とりわけ、月を眺める。

 

太古の人々は、月を眺めて何を考えたのだろうか。毎晩月を眺めてみると、毎日同じくらいの時間にある決まった場所から月が現れ、日によって形が変わったりする。しかもその形の変化の周期が潮の満ち引きと関係しているらしい。

 

月は他の夜空の星々の中でも一際大きくかつ輝いている。また、月は雲には隠れてしまう事実から、どうやらはるか天空の彼方にあるらしいということがわかる。しかし、こちらに落ちてくることはこれまで一度もなかった。これからはどうだろうか。

 

原初の天文学は、月下の世界と天上の世界との関係の把握であった。ひたすら夜空を観想(テオーリア)し、星々の運行の法則(ロゴス)を探り、その秩序から月下の生活の指針を立てた。

 

今ではどうだろう。私は月をぼんやりと眺めながら、手元のスマートフォンで時間を確認する。月を眺め始めてまだ20分か、月が動いている感じはしないな、ああなぜこんなことをしているのだろう、手元にあるテキストを読み進めなければ…。

 

私はハッとした。こんなに急いでどこに行くのだろうか。

 

最初の哲学者たち、すなわち、ロゴスによる自然(フュシス)の把握を試みた人たちにとっては、まさに自然を観想することが彼らにとって至善であり、至福であったに違いない。私はひたすら「哲学的」なテキストに取り組んでいるが、果たしてそれが知恵を愛することになっているのだろうか。真理探究の上では、自然における様々な事実に子どものように驚くことが何より重要なのではないか。

 

天上界の秩序そのものであった“時間”は、今や時計の針やスマートフォンの光に成り下がっている。しかしこれらが生まれるよりずっと前から、星々の運行は月下の世界の生きとし生けるものの生活を規定してきた。今一度上を向いて観想しないではいられないような、そんな気がする。

 

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